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田崎廣助の『朱富士』『白富士』のリトグラフをヤフーショッピングで販売しております。

田崎廣助 朱富士 赤富士

アンティーク慈光ヤフーショッピング 田崎廣助(広助) 朱富士 赤富士 リトグラフ版画

 

田崎廣助 白富士

アンティーク慈光ヤフーショッピング 田崎廣助(広助) 白富士 リトグラフ版画 4/200

慈光では、絵画のお買い取り、販売を行っております。
現在、アンティーク慈光ヤフーショッピングで、田崎廣助のリトグラフを販売しております。田崎廣助は福岡生まれ、激動の時代を生き抜いた画家の一人で、山の風景を題材と作品は、現在も非常に人気があります。
軽井沢の田崎美術館は、こう述べております。昭和初期、ヨーロッパ中心の油絵が日本を席巻し、日本人画家は続々と渡航し、フランス絵画派が巷に氾濫した。そのとき廣助は昭和7年から約3年半渡欧し、日本人はニッポン人の油絵を描くべきだと考えた。評論界第一人者である田近憲三氏は、そのとき以来無名であった廣助を支持し、次のように言っている。「現在は、海外ばかりを見る時ではなく、各自が足許をはっきりと見て、高く将来を考えて、つよく立つ時代にさしかかっている。そのとき田崎画伯の製作は前人では不可能な様式をあらわして、しかも発言の強さから、ここに前例のない、新しい制作をうち立てた。しかも、それは、東洋の深奥にもとづいて、東洋の美をかかげており、洋画の強靭にのっている。それにわが国の山岳は、画伯が感動するように、景観の見事さだけでなく、自然の力をひめたたえて、その荘厳と精神と神秘まであらわしている」けだし田近氏の言葉すべてが、廣助の作品のすべてを語っていてあますところがない。逞しい男性的な廣助の作品である。

 

田崎廣助略歴
明治31年 福岡県八女郡立花町に生まれる。
大正5年   福岡県立八女中学校卒業。
大正6年   福岡県立福岡師範学校第二部卒業。
大正10年 京都関西美術院に学ぶ。
大正15年 二科展初入選。
昭和7年      この年より10年まで巴里滞在、 サロン・ドートンヌ入選。
昭和10年     二科展に滞欧作7点を特別陳列。
昭和12年     一水会創立とともに同会に所属。同じく一水会審査委員。
昭和13年     一水会賞を受賞同時に一水会委員となる。
昭和17年      一水会出品作「松林と海」(200号)    相武台御座所へ献上。
昭和24年     日展審査員となる。
昭和25年      外論山の阿蘇、文部省買上げ。
昭和27年      高原の浅間山風景、東宮御所へ献上。
昭和36年      日本芸術院賞を受賞。国際文化交流展へ出品。 リーダースダイジェスト世界美術展へ出品。
昭和42年      日本芸術院会員。
昭和43年      勲三等瑞宝章を受章。
昭和48年      ブラジル政府より最高名誉文化章を受章。
昭和50年      文化勲章受章。日展顧問となる。
昭和54年      日伯美術連盟会長就任。
昭和55年       熊本県阿蘇国民休暇村に画碑が建てられる。
昭和59年      死去。
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