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骨董品の買取なら杉並区の道具屋 慈光

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東京西荻窪アンティーク道具屋慈光の日々

新着商品入荷情報や西荻アンティーク街情報やら日記です

練馬区にて徳川黎明会監修、源氏物語蒔絵貝合わせを買取させて頂きました。

 

練馬区にて徳川黎明会監修、源氏物語蒔絵貝合わせを買取させて頂きました。

全部で54枚、蒔絵貝がセットになっています。フランクリン画廊から限定販売された品で認定書と貝一枚ずつに説明書が付属します。

貝合わせは平安時代から伝わる上流階級の遊びです。時代が進むにつれて、内側に金彩など豪華な絵付けをされたものになっていきました。

また、貝合わせは同じ貝が互いのみ合うことから夫婦和合の象徴として、重要な嫁入り道具の一つでした。この慣習は明治維新以降、徐々に失われていき、

現在では人前式の貝合わせの儀等で使用されています。

今回買取させて頂いた品は限定生産の品で中古市場でも、高値で取引されています。

 

慈光では、骨董、アンティーク、古美術品をお買取りしております。ご自宅にご売却をお考えの貝桶がありましたら、是非ご相談ください。

東京西荻窪で創業35年、長年培ってきた知識と経験を基に骨董品の査定・買い取りいたしますのでご安心してお問い合わせください。

 

お問い合わせ先
info@antiquesjikoh.com
(有)アンティーク・ネット慈光
TEL/FAX 03-3395-7481

買取のご相談は TEL/ 03-5382-5171
営業時間 10:00~18:00(水曜日休)

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三鷹市にて沈壽官の茶器などを買取らせて頂きました。

沈壽官 沈壽官

三鷹市にて、薩摩焼沈壽官造の茶器を買取らせて頂きました。

沈壽官や朝鮮技術者たち

豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連行された数多くの朝鮮陶工の中に沈家の初代当主である当吉がいました。

連行された朝鮮の陶工達は、薩摩の原料を使用した美しい薩摩焼を造り出しました。

江戸時代に入り、薩摩藩や他の諸藩は陶工を手厚くもてなし、士分や門構えなどを許しました。

徳川家康は、強制連行された陶工を含めた朝鮮人技術者を帰国させましたが、

待遇が朝鮮よりも良かった為、殆どがその申し出を拒絶し日本に残ることを選びました。

 

沈家は、薩摩藩焼物製造細工人としての家系をたどり三代 陶一は藩主より陶一の名を賜わり、幕末期には天才 十二代 壽官を輩出しました。

現在は、十四代沈壽官が存命中に長男 一輝が十五代を襲名し、『壽官』を名乗っています。

 

慈光では、陶磁器の買取を行っております。

ご自宅に眠っている陶磁器などございましたら、ご気軽にご相談下さい。

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杉並区にて純銀製ボンボニエールを買取させて頂きました。

 

杉並区にて純銀製ボンボニエールを買取させて頂きました。

今回買取させて頂いたものは、よく見る八稜鏡型から、珍しいひょうたん型や入目籠型のボンボニエールです。

ボンボニエールは皇室のお祝いや記念日など特別な儀礼の際に招待客にご下賜品として渡されます。

明治維新から数えるとボンボニエールは700種類近くあると言われており、時代よって材料や造形の特徴も違います。

実際手にとってみると、小さな箱に込められた職人によるこだわりが伝わってきます。このような技術は長く伝承されていってほしいものです。

 

慈光では、ボンボニエールの買取を行っております。

東京西荻窪で創業35年、長年培ってきた知識と経験を基に骨董品の査定・買い取りいたしますのでご安心してお問い合わせください。

 

 

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三鷹市にてアイヌ飲食器をまとめて買取させて頂きました。

 

三鷹市にてアイヌ飲食器をまとめて買取させて頂きました。

木彫りの器はアイヌ語でニマと呼ばれています。古くから食器として使用されており、塗り椀やお皿、どんぶりのようなものなど、さまざまな形、大きさのものがあります。

今回買取させて頂いた品は客数が多く、家族との食事や来客の際でもご使用いただけます。

素材も軽い木材でできているので、とても使いやすいです。一つ一つ手作りでいい味が出ています。

 

慈光では、アイヌ民族などの民芸品の買取を行っております。

東京西荻窪で創業35年、長年培ってきた知識と経験を基に骨董品の査定・買い取りいたしますのでご安心してお問い合わせください。

 

 

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大韓帝国の皇太子李垠の銀製写真立てを買取致しました。

大韓帝国最後のの皇太子李垠の写真立てを買取致しました。

写真立ては、銀製と三越のマークが刻印されています。

李垠は大韓帝国最後の皇太子で、日本が韓国併合を考えていた幼少の頃に、

訪日し陸軍士官学校などで学びました。

その後、第二次大戦の日本の敗北後に日本国籍を喪失し、1957年まで在日韓国人となります。

長い間、故郷の韓国には日本との国交が無かった為に帰国することが叶いませんでしたが、

1963年に朴正煕政権時代に帰国することが出来たそうです。

 

李垠 略歴

1897年 高宗と純献貴妃厳氏との間に、高宗第七皇子として生まれる。
1907年 純宗即位と同時に大韓帝国最後の皇太子となる。
1907年 日本に留学し、伊藤博文らから扶育を受ける。
1910年 韓国併合と同時に日本の王公族として「王世子」に封じられ、「殿下」の敬称を受ける。
1917年 日本の陸軍士官学校を卒業(第29期)後に、大日本帝国陸軍に入隊する。
1918年 日本の皇族梨本宮守正王の第一女子である方子女王と婚約する。
1920年 方子女王とご結婚
1926年 純宗が薨去され、李王家当主を正式に継承し、「王」(李王)となった。
1945年 日本の軍人として宇都宮連隊長などを経て、終戦時には中将に昇進していた。
1947年 日本国憲法制定により李垠夫妻は王公族の身分と日本国籍も喪失する。
1947年 李承晩により大韓民国への入国を拒否されて、帰国する事が出来なかった。
1957年 日本国籍を取得して夫婦で渡米。 李玖のマサチューセッツ工科大学卒業式に出席。
1963年 朴正煕政権が成立したのを機に帰国する事が出来た。
1970年 李王 死去(満72歳没)
慈光では、皇室下賜品などの買い取りも行っております。
よろしくお願いいたします。

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