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東京西荻窪アンティーク道具屋慈光の日々

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能面師 羽生光長のお多福を杉並区にて買取させていただきました。

羽生光長

能面師 羽生光長のお多福を杉並区にて買取させていただきました。

羽生氏のお面は、演劇、舞台の使用を目的に創られたものが多く、魂を揺さぶる能面師と評されています。

作品はお多福でしょうか、その他呼称としておかめ・おふくなどいろいろな名前があります。

おたふく」という名称は、狂言面の「乙」(乙御前)の「オト」音の転訛ともいわれる

ほかにも「福が多い」という説と、頬が丸くふくらんだ様から魚のフク(河豚・ふぐ)が元という説もある

買取させていただきましたお面は、優しい顔をしたお多福さん。

横から見ると立体的に出来た能面、羽生光長の技量の高さが窺えます。

こちらの作品は近日ヤフオク出品予定です。

お見逃しなく。

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店頭にてニコンF2カメラを買取させて頂きました。

ニコン カメラ

店頭にてニコンF2カメラを買取させて頂きました。

Fシリーズの1桁台は、当時の最高峰のカメラで、その安全性とスペックの高さが評価され、プロのカメラマンに選ばれました。

F2はF1の販売から10年ほど経ってから販売され、シャッター速度の高速化がなされるなどいくつかの改良点が加わりました。

F2は電子化される前の、機械式のカメラなのでマニアの方にも好まれる趣味性の高い機種と言われています。

 

買取させていただきましたカメラは、ボディの損傷は少なかったのですが、レンズにカビが発生しておりました。

慈光では、カビや動作不良のカメラの買取も行っているのでご安心ください。

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世田谷区にて古作のこけしを買取させていただきました。

こけし

世田谷区にて古作のこけしを買取させていただきました。

中央左は盛秀太郎・中央右は小椋泰一郎かと思います。

両脇の作品は不明なので、現在調べています。

特に左のこけしは斬新で雰囲気があり、調べるのが楽しみです。

この中で、有名な方はやはり盛秀太郎、かの棟方志功から「津軽美人の原点、日本一のこけし」

と絶賛されました。

盛秀太郎の作品は達磨が描かれたものが多いのですが、これは家族の不幸が続き祈る気持ちでだるまの絵を書いたとされています。

昭和53年には伝統こけし功労者として勲六等瑞宝章を受賞しています。

昭和六十一年老衰のため九十二歳でお亡くなりにました。

 

傷などはありますが、年代にしては模様など色抜けが少なく良い状態です。

今月、ヤフオク出品予定です。

※店頭では販売しておりません。

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中野区にて軍刀を買取させていただきました。

軍刀

中野区にて軍刀を買取させていただきました。

おそらく九八式軍刀ではないかと思います。

九八式軍刀は、初期は古作の日本刀が使用されたが、物資の少なくなると大量生産の刀身が使用されました。

外装は1等から4等級の品位が有り、鞘などは鮫皮巻又は漆塗木鞘等の特注品があった。

それらは個人の財力によって決定されたそうです。

大東亜戦争以降、物資の不足によって九八式軍刀と一括りにできない程の品質格差でありました。

その後、簡素な作りの三式軍刀に変わっていきます。

 

慈光では、旧日本軍関係の買取を行っております。

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戦前の洋画家 清水登之 の薔薇を描いた油彩画を練馬区にて買い取りいたしました

清水登之 薔薇の絵 油彩画
栃木県出身で、欧米遊学が長く、多くの受賞歴を誇り、東京国立近代美術館に作品が複数収蔵されており、後半生には従軍画家となるなど、独特、異色の経歴を持つ清水登之(1887~1945)の作品と推定されます4号相当の油彩画を先頃買い取りさせていただいております。
共シールなどは貼られておらず、画題も制作時期も不明、唯一画中右上部のサインから、清水登之の油絵であると判定されます。
地主の家に生まれたという同氏は、アメリカに渡り(1907年)オランダ人画家フォッコ・タダマの画塾に入門、続いてニューヨークに移り(1917)、ジョン・スローンらの教えを受けて、自身の画風、スタイルを確立させていきました。1921年には自作品が第34回アメリカ絵画彫刻展でいちどは受賞が決まるも外国人であることを理由に受賞が取り消されるという憂き目に遭い(結局は受賞)、却ってその名が世に広まったといいます。
1924年にはパリに移住、三宅克己や藤田嗣治ら在仏画家と交流を深め、画家として活動、1925年にはサロン・ドートンヌで入選を果たす栄誉を勝ち得ました。
1927年に帰国、東京に拠点を置いて活動し、1930年には二科展で二科賞を獲得。その一方で西欧美術の模写からの自立、独立を目指す児島善三郎、里見勝蔵、林武、三岸好太郎らに共鳴し、独立美術協会の創立にも参加、以後は独立展を中心に活動を続けたそうです。
1932年に従軍画家となって戦争画を多く描きますが、この背景として、二十歳での渡米の前にあった挫折~陸軍士官学校の受験に失敗していた~との関連性に思い至らずにはいられません。なおご子息を戦死で失った後程無くして同氏も逝去されています。
本作は、氏の代表作~キュビズムなど時代のトレンドを適宜採り入れている~たちとは些か趣きを異にし、伝統保守的な様式で、筆数を抑えて簡素に描き上げられておりまして、滋味ある小品に仕上がっております、遠からずヤフオク!に出品の予定でおりますのでお楽しみに。

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