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骨董品の買取なら杉並区の道具屋 慈光

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東京西荻窪アンティーク道具屋慈光の日々

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森陶岳(備前焼)の徳利を、ヤフーショッピングで販売しております。

森陶岳 備前 徳利 酒器 共箱 

慈光ヤフーショッピング 森陶岳 備前 徳利 酒器 共箱

慈光では、陶器、陶磁器の販売、お買い取りを行っております。

今回ご紹介する品物は、森陶岳の徳利です。窯元六姓家の家系にうまれ、備前焼の作家であり、中学の美術教師を3年で退職して陶芸の道に入るりました。大胆な行動力があり、古備前が焼成された中世の大窯焼成計画を立て、46メートルの登り窯(兵庫県)を築きひもづくりの大甕(おおがめ)など備前陶器多数を焼成し、さらには、53メートルの窯(岡山県)を築き、その後、前人未踏といわれるメートル・幅6メートル・高さ3メートルの「寒風新大窯」を築き、昔ながらの焼成に力を注ぎました。大窯から生まれる風情のある作品は、数々の称賛を受けました。

小さい徳利ながら、古備前の様な風格があり、堂々としたいで立ち出で立ちです。花瓶の見立てとしても使えるでしょう。

お問い合わせ先
info@antiquesjikoh.com
(有)アンティーク・ネット慈光
TEL/FAX 03-3395-7481

買取のご相談は TEL/ 03-5382-5171
営業時間 10:00~18:00(水曜日休)

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85メートル

 

 

オールドノリタケ・花瓶を慈光店舗にて販売しております。

オールドノリタケとは、その年代をはっきりと限定することはできませんが、1800年代の末から第二次世界大戦前後頃まで、ノリタケカンパニーの前身である森村

組と日本陶器で作られました。主に、アメリカへ輸出された装飾品(花瓶、壷、陶製人形、置物など)とテーブルウェア・ディナーウェアの総称です。それらオールド

ノリタケの製品群は、工業的に優れた技術力と伝統的な感性、テクニックが融合した芸術作品として高い評価を受け、現在では骨董愛好家から『オールドノリタケ』と

呼ばれ、人気の高いコレクターズアイテムです。

今回ご紹介の商品は、オールドノリタケの 「葡萄とバラ文一輪挿し」と「ナデシコ文花瓶」です。

高さ15㎝ほどの愛らしいサイズの花瓶に、瑞々しい花々や果実が手彩で絵付けされた作品で、当時流行したアールヌーボー様式の影響を強く受けています。

1911-21 年頃制作されたようですが、大正当時は 様々な形状や大きさ、パターンのものが制作され、 海外の愛好家の目を楽しませましたが、 円柱型の花瓶はなかでも稀

少と言われています。いずれも刻印は通称 “M-NIPPON 印”。 日本陶器前半期に使用されていた印で、 森村の頭文字 “M” と 森村家の紋章である下り藤を逆にしたデザイ

ンとなっています。

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店頭にて、八木一夫の一輪挿し花器を販売しております。

八木一夫

店頭にて、八木一夫の花器を販売しております。

戦後復興期に前衛陶芸家集団「走泥社」を結成、器としての機能を持たない「オブジェ焼」と呼ばれる作品を発表し、現代陶芸に新分野を確立しました。

初期は。クレーやミロなどに影響を受け、やがてピカソやイサムノグチの触発され前衛的な作品を制作しました。

器として機能を持たない作品はオブジェ焼きと呼ばれ現代陶芸に影響を与えました。

その後も、ブロンズ作品を発表するなど、やきものの既成の枠を破る世界を開拓しました。

こちらの一輪挿しは凛とした佇まいが印象的で、何を飾るか思案するのが楽しい作品だと思います。

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藤原健 備前緋襷徳利を、ヤフーショッピングで販売しております。

藤原健 備前緋襷徳利 酒器 共箱

慈光ヤフーショッピング 藤原健 備前緋襷徳利 酒器 共箱

慈光では、陶器、陶磁器の販売、お買い取りを行っております。

今回ご紹介する品物は、藤原健の徳利です。藤原健は、大正12年(1924年)生まれ。叔父は、人間国宝の藤原啓にあたります。藤原啓の元で陶芸を始め、その後、同じく人間の金重陶陽の門をたたき、技術を習得しました。また北大路魯山人の鎌倉の窯に応援に行き、作品を制作し、魯山人のもとで、芸術面を磨きました。錚々たる日本を代表する作家の元で、腕を磨き一流の作家になって行きます。戦後の備前焼を盛り上げ、復興させた一人と言えるでしょう。53歳という若さでこの世を去りましたが、将来の備前焼を担ってゆく作家と嘱望されました。

藤原健の特徴は、優れた造形の素晴らしさにあり、肌感や、景色の良さも加わり現在でも人気があります。

緋襷(ひだすき)とは、赤色(緋色)襷(たすき)をかけたような模様から緋襷と言われるようになり、元は窯詰めをする際に、作品同士がくっつかないようにするため藁を巻いていましたが、それが模様として用いられるようになりました。

藤原健 略歴

1924年  岡山県に生まれる
1946年  叔父、藤原啓のもとで陶芸を始める。金重陶陽宅をたずね、以後、啓、陶陽に師事
1952年  京都で金重素山に京焼を学ぶ
1954年  鎌倉の北大路魯山人の備前焼窯焚き窯区の応援に行き、食器の制作技術など制作。 魯山人に師事。

1956年  独立し、第1回の窯を出す
1957年  岡山にて初個展開催
1958年  日本伝統工芸展に初入選、以来連続入選
1969年  第1回金重陶陽賞受賞
1970年  大窯を築窯 大窯初窯展開催(岡山、東京、大阪)
1973年  岡山県重要無形文化財に指定される
1977年  心臓発作のため死去

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人間国宝・加藤土師萌作『織部木葉文・竹手付長角皿』を、慈光店舗にて販売しております。

 

加藤土師萌(かとうはじめ)1900‐68(明治33‐昭和43)は、愛知県瀬戸市に生まれました。愛知県の陶器学校で陶芸図案を学んだ後、26歳の頃、岐阜県多治見市に移住し

ました。岐阜県陶磁器試験場の技師として勤め、図案の改良や陶磁器の材料・制作技術の研究に取り組みながら作品を発表していきます。そして、1937(昭和12)年に

パリ万博に出品した「指描沢潟文大皿」がグランプリを受賞。勢いにのっていましたが、戦争が起こり徴兵されました。帰国後、独立を目指し、1940(昭和15)年、横

浜市日吉に移住し、築窯して陶芸に専念しました。その後、日展や日本工芸会で活躍し、1955年(昭和30)には、東京芸術大学の初代陶芸科主任教授になり、1961年

(昭和36)加藤土師萌が61歳の時、〈色絵磁器〉の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。中国明代の金襴手,とくに黄地紅彩の技法を解明。富本憲吉と

ともに色絵磁器における双璧と言われています。

今回ご紹介の竹手付長角皿は、木葉の文様がデザイン的に繊細に描かれており、もともとは画家を志していたことが、伺い知れます。

こちは慈光店舗にて販売しておりますので、ぜひ間近でご覧下さい。

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